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さすらいの塾講師が、誰かの役に立つような内容をたくさん発信していきます。

野口英世から学ぶ生き方

偉人

今回は野口英世から学べることです。

結論から書くと、「とにかく努力、努力、努力!!それでもどうにもならないことは、プライドを捨てて頭を下げ人を頼る」ということです。

 

 

日本で生きていれば一日に一回は目にする人の筆頭が野口英世ではないでしょうか。

なにせ、千円札の顔ですから。

 

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野口は細菌学者で黄熱病の研究をしていました。

 

現在の福島県で生まれた彼は幼い頃に囲炉裏で手を大火傷し障害が残りました。

 

そんな状態では農作業ができないので、お母さんから「学問で飯を食っていく」ように言われたそうです。

野口英世の努力家な所はこういうバックボーンからきているのだと思います。

 

10代の頃、アメリカ帰りの医者、山口鼎によって左手の手術が行われ、完治はしないものの奇跡的に左手が使えるようになりました。

野口は医学の可能性に感動し、医学の道に進むことをこの時に決意します。

 

そこからの行動は早かった。

山口鼎の病院、会陽医院に書生として住み込み、医学の勉強をします。

決意したらすぐに行動し努力する。

これは現代人にも通ずる大切なことですね。

 

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 ↑旧会陽医院跡

    一階はカフェになっていて、二階が資料館で

    す。

ここで3年間ひたすら勉強を続けた野口は東京で医者をしていた血脇守之助の目に留まります。

 

そこでも野口の行動は早かった。

すぐに上京し血脇の家を訪ねこう言ったのです。

「学院の玄関番、車引き、何でもするから使ってほしい」と。

これは野口が20歳の時のことでした。

勉強ができ努力もしてきた、そんな彼がこの言葉を言っていることに重みを感じます。

やはり上京しなければ夢は叶えられない、でもこればかりは努力でどうしようもない。

だからこそ自分の夢を叶えるためには、プライドを捨て頭を下げる、「何でもする!」という覚悟、きっと血脇はここに胸を打たれたのでしょう。

 

と、何となく良い話ばかり書いてきましたが、野口は血脇がせっかく自分のために集めてくれた学費や留学費用を遊びで使い果たしたりと、浪費が激しかったようでもあります。

こんなことをしていたら、たとえ自分の息子であっても勘当される場合もありますが、それでも血脇は野口を見捨てませんでした。

むしろ自分が借金をしてまで野口のことを支援しています。

それだけ、野口に可能性と魅力を感じていたのでしょう。

 

その魅力がどこからきたのか。

それは野口が医学の勉強に対しては志を持って取り組んでおり、その熱意が十分に伝わっていたからだと考えられますね。